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2006年11月10日 (金曜日)

バヌアツ

バヌアツ共和国(Vanuatu)はフィジーとニューカレドニアの真ん中にあります。旧英国と仏国の共同統治領で”ニューヘブリデス”と呼んで居り1980年7月30日に独立しました。首都はポートビラで、日本から直接行ける航空便はなく、東隣のフィジーからか、西隣のニューカレドニアからとなります。またオーストラリアからも空路があります。ニューヘブリデス時代は英語表記と仏語表記の2種類の切手が発行されて居りました。(New Hebrides Condominium英語表記、Condominium des Nouvelles Hebrides仏語表記の第4回南太平洋競技会の切手)

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またこの地域は日本軍が南洋に進攻した激戦区域でもあり、大戦の面影を残す記念切手の発行もあります。(上段英語表記、下段仏語表記で、それぞれ4種類ずつ同一図案で発行された。)
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1942年初め、日本軍はソロモン諸島の近くまでやってきたので、ニューヘブリデスの住民は、次は自分たちの島だと恐れおののいていた。しかし、1942年5月に米軍が真っ先にしかも何の前触れもなく上陸した。

夜明けに目を覚まして、広いメレ湾が軍艦でいっぱいになっているのを見た多くのビラの住人は、日本軍の襲来と間違えて山に逃げ込んだ。事態を飲み込むのに時間がかかったが、無敵と思われていた日本軍に反撃するには、米軍の隠密行動が必要だった。

生来向こう見ずなアメリカ人はすぐさま頭角を現した。軍関係者の生活を支える基盤設備を整え、反撃を加えるのに必要な装備を整えた。数万トンに及ぶ機械部品を持ち込み、兵舎や病院を建て、島を一回りする道路を造り、仮設滑走路や埠頭を造った。日本軍を直ちに押し返すことが先決問題ではあったが、海軍建設隊員と技術者たちの仕事振りは目覚しかった。今まで島のためにそのような事をしたことがなかったフランス軍とイギリス軍は、恥ずかしさに身の置き所がなかった。

ただちに10万の軍勢がエスピリッツ・サントに到着し、人口は一晩で2倍に膨れ上がった。島内では面白い社会現象があちこちで見られた。米軍の中では白人も黒人も平等に扱われているのを見て原住民はびっくりしていた。また、島民が米軍の仕事を手伝えば、今までにもらったことのないほどの賃金をもらい感謝されたのだ。気前の良いアメリカ人は島民の生活ぶりを見て、洋服やベッドや冷蔵庫や家具を軍から調達して彼らに与えた。

ニューヘブリデスの住民にとっては、穏やかな日々だった。バヌアツは一度だけ日本軍の飛行機一機に攻撃されたが、その飛行機も打ち落とされ、サントでただ牛が一頭犠牲になっただけだった。ソロモン諸島やニューギニアを占領した日本軍の脅威にさらされることはなかった。かわりに公平な扱いを受け、生活水準はあがり、新しい医療の恩恵を受け、経済状態も上がり、様々な設備も整った。それらの設備は60年後の今も使われている。(政府観光局ホームページより)

ニューヘブリデス時代のカバー(仏語表記)Hebri1_1
バヌアツ共和国となってからは海洋生物、民芸品、民族舞踊などの鮮やかな切手を発行しております。
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最近は独特な火山島の風景や火山郵便なる切手を発行してます。バヌアツ共和国からの手紙と一緒にご紹介します。(ポートビラより)
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バヌアツ共和国についてもっと知りたい方は、下記ホームページより調べてください。
バヌアツの観光については------------>バヌアツ観光局
バヌアツの切手については------------>バヌアツ郵便局
バヌアツについては余り詳しく有りませんので、この辺で西隣のニューカレドニアに飛んで行きたいと思います。
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