カテゴリー「パプアニューギニア」の2件の記事

2006年12月11日 (月曜日)

パプアニューギニア

パプアニューギニアはメラネシア系の地域に入り、ニューギニア島の東半分がオーストラリアとイギリスからの統合で、独立しました。島の西半分はインドネシア領、東半分の北側を第1次大戦後ドイツから、オーストラリアの統治領となりパプアと、南側をイギリス領のニューギニアと呼ばれていました。その後両者は統合され、「パプア&ニューギニア」と名称が変わりました。独立後は「&」を除いてパプアニューギニアと国名表示しております。首都はポートモレスビーです。

【パプア時代の切手】
3_4

【パプア&ニューギニア時代の切手】
Photo_25
《ニューギニア島で見られる鳥類》7
ニューギニア島で見られる各種の蝶8
ニューギニア島で見られる各種の貝2_8
【パプア&ニューギニア時代の手紙やカバー】Fdc3_1Fdc4_1
【パプア&ニューギニアから差し出された手紙】Papua1Papua2
【日本軍が占領したニューブリテン島のラバウルを描く切手】4_5

パプアニューギニアの切手に関することはパプアニューギニア郵便局(英語)のホームページを見てください。
パプアニューギニアの観光に関することはニューギニア航空(日本語)のホームページを参照下さい。政府観光局(英語)のホームページはhttp://www.pngtourism.org.pg/

このブログに興味が有りましたら此処をクリック(マウスの左をポキッ)としてください。
次回は独立後の切手を紹介いたします。
12月上旬に私に来た手紙を続きで紹介します。

続きを読む "パプアニューギニア"

| | コメント (0)

2006年12月13日 (水曜日)

パプアニューギニアその2

ニューギニア島は、19世紀の植民地主義の時代、ニューギニア島の西半分を東西に分割し、西半分をオランダ、東半分をオーウェン・スタンレー山脈、ビスマルク山脈で南北に分け、ニューブリテン島などを含んだ北半分をドイツ、南半分をイギリスが獲得した。南部はイギリスから独立したオーストラリアに継承された。第1次世界大戦にドイツが敗北すると、ドイツ領であった島の東北部は、国際連盟によりオーストラリアの委任統治領となった。太平洋戦争中はニューギニア全島の北半分を日本が占領し、北部を中心に連合国との激戦を繰り広げた。オーストラリアは南東部と北東部を一行政単位に統合してパプアニューギニアとし、1973年に自治政府を認めた。その後南北合わせた領土がイギリス連邦の一員としてパプアニューギニアとして独立した。

Png

【ドイツ領、英領ニューギニア及びパプア時代の切手を描く切手】1_12
【部族の髪飾り】
12
【ニューギニア島の住民生活を描く】910
【伝統舞踊】
11
【伝統工芸】
6
【蝶/蛾や鳥を描く(何度も図案として採り上げられている)】5_2
13
【パプアニューギニアからの手紙】Papua5Papua4Fdc2_1Fdc1_1

このブログ人気投票に1票を此処をクリックして下さい。

| | コメント (0)